短時間ですが、北脇昇氏の作品「クォ・ヴァディス 」を鑑賞しました。

北脇昇(1901ー1951) 作品名「クォ・ヴァディス 」昭和24年 油彩・キャンバス・額 91.0x117.0 東京国立近代美術館
どのような絵か、何が起きているのか、自分との関わりで見てみることを指示しました。
手元にA4サイズにプリントアウトした作品をもとに、まずは一人でじっくりと鑑賞しました。
生徒A
男の人が大勢の人の中に行こうとしている絵。
この男の人は、たくさんの人の輪に入ろうとしてしているが、背中からは少し寂しさが感じられる。前は自分の気持ちを押し通そうとしすぎて、人から厄介者だと思われていた。右にあるお墓は自分自身のもので、自分自身で気持ち殺したのだろう。左にある殻は、昔自分がまとっていた物だ。押し通そうとするダメな部分もあったが、自分の気持ちに正直という良い部分も持ち合わせていた。しかし、男の人は、自分を嫌いになった。自分の殻を破るそれは、すべての人にとって良いことではない。男の人は自分に嘘までついてたくさんの人の輪に行くことを決心した。
人と違うというのは時にには恐怖になることもある。人と同じというのは安心する。でも、やり過ぎれば自分というものを失ってしまう。私も男の人のように人と同じ方向に向かっていくことがある。自分の考えをしっかり持てるような人になりたい。
生徒B
ファンタジーが強い絵だと感じた。知識(本)と道具(袋)を持った巨人に、小人たちが群を成して立ち向かおうとしている絵。左下に描かれている不思議な物体は巨人が創り出した物。右下には墓が建てられている。この絵を現代の世界と重ねたとき、人類(小人)が全く新しい発想、道具、時代に挑戦する様を描いているのだと感じた。小人がいるところは草が生え、奥には森のようなものも見える。しかし、巨人のところは巨人と物体と墓以外何もなく、草もない。この事から、人類は新しいことに挑戦し続けているが、それと同時に、環境破壊など多くの失う物、問題に直面していくようだと思った。自分も小人のように恐れずにいろんなことに挑戦していきたいと思った。
生徒C
一人の男性が大勢の人から置いていかれているような表現をした絵。光が左に当たっていることがわかる。
自分の考えだと、古着を着た男性がみんなとは違う考え、違う思考のせいで、まわりから「変わった子」と思われるようになり、みんなと距離を縮められず大勢に見捨てられた人間の一人だと思う。この作品は光が左に当たっていることがわかる。だから、この男性は違う考えを持っているので光がある方に向かうだろう。そして大勢の人たちは、右側にある建物に向かって歩いていくと思う。けれどそこは天気が悪く大雨だとしても、男性は左に光があっただけでそこに明確にはわからないが自分の考えを持って進むのが一番良いと思う。
私の場合は、近くにある物で早くみんなに追いつける乗り物をつくり、たとえみんなに嫌われていても一緒にいるだろう。理由は、そこで個人の考えををもっと自分から言って欲しいから。決して、みんなと同じく生きなくても良いんだと伝えると思います。
生徒D
私はこの絵を見て、戦後の風景で亡くなった人に誰かが花を供えている絵だと思います。この絵の中では、みんなが戦争が終わって喜んでいるパレードをしている中、遠くで男が見ている感じなんじゃないかと思います。その男は戦争で家族を失い、放心状態で立っています男の顔は見えませんが、泣いているんだと思います。独りで生きていくのは難しいからです。私がこの男だったら今持っているものを全て置いていって「また新しい生活を始めよう!」とポジティブに心の中で盛り上げていくんじゃないかなと思います。
生徒E
悩んでいるような絵に見えた。足元に道を表す看板のようなものがあるので右か左かで迷っている。私には人生の選択をしているように見えた。人がみんな進んでいく常識通りの左。進み方や道はわからないが、ゴール(目標や目的)がわかる右。私はこの男性が右を選んだと思う。その理由は、影で判断した。貝殻のようなもの、男性、花、全部に影がついている。でもその向きは全部同じ右だったからだ。だから私は右だと思った。私もこれからこの絵のようなことが起きるかもしれない。そして、私も右を選ぶかもしれない。そう思った。
生徒F
絵の中心にいる人は旅人といった風体です。旅人の足元には標識のようなものが設置されています。私はこの絵を人間の選択と捉えます。旅人の左の道にはたくさんの人々が列を成しています。これは、多勢の人と同じ道、大義などを表しているように感じます。一方、旅人の右の道には雨雲のようなものが立ち込めています。奥には林のようなものも見えますし、これは修羅の道、マイノリティなどを表しているように感じます。この絵からは全体的に比喩や風刺が感じられますが、もし、本当に世界にこのような場所があるのなら、私は右の道を歩きます。左の道は大義に埋もれて息が苦しそうですが、右の道は険しいけど空気が澄んでいそうです。
一枚の絵画作品を鑑賞してこんなにも多様な見方ができます。
今の自分の気持ちや置かれている状況など、ストレートに感想として出てくるあたりが非常に面白いです。
その生徒の抱えている悩みや気にしていることも見え隠れしています。
次の時間までにみんなの見方を掲示して見てもらおうと思います。そして、再度、この絵を鑑賞して対話します。
どのように見方は深まっていくのか、とても楽しみです。(しっかりと考えを持たせてから対話させたいと思い、今回は短時間で2つの鑑賞を行い、シートに書かせました)
3年生になって修学旅行に行った際には、ぜひ東京国立近代美術館で本物と出会わせたいですね。
さらに、デザインの鑑賞もしました。

生徒に聞くとBのロゴが人気です。スプラトゥーンに似ているからでしょうか?
でも、しっかりと選んだ根拠があるようです。
自由な色使いで今の世界を表している。型にはまらない塗り方でいい。黒い丸い線は地球を表し、それを突き破るように色があふれて飛び散り、混ざり合っている。新たな文化や技術を表しているんじゃないか。黒いOは大阪のOだ!などなど、色や形やイメージを捉えて造形的な意味を考えています。Aのドーナツ型の意味とか、線の集まりの意味とか、1年生とは思えないそんな意見ばかりです。
やはり鑑賞は面白いです。この鑑賞が、制作にも生きてきます。独立した鑑賞の授業は絶対にやるべきです。
次こそ、3年生の学びを紹介します。(でも予定)