学校に来るのは、残すところ24日になってしまいました・・・。
1年、いや3年はあっという間です。
義務教育の最後ということもあり、残された授業を楽しみながらも噛み締めて受けているように見えます。
義務教育最後の美術
さて、美術はというと、「15歳の存在証明」という授業に取り組んでいます。
全国的には「自画像」を描かせる学校も多いのではと思います。教科書に載っていますからね。
本校の授業は全員が同じように自分の顔を描くのではなく、多様な表現で自分をあらわします。
自画像の授業の目的は「自分を見つめる」ということだと思います。鏡をみて、今の自分を見つめ、過去や未来、今を
真剣に考えながら表情や背景に工夫を加えて描くというものです。
「15歳の存在証明」も同じことです。自分を見つめること。これまでの生き方やこれからの生き方を考えていくような。
今の自分を形づくっているものは何かを探るような。今まで見ないふりをしてきた「自分」に向き合うような。
生徒一人一人が「自分」という人間と向き合いながら、どのような表現であらわすのかじっくり考え、試行錯誤を重ねる授業です。
今年は、北海道の北翔大学教授 山崎正明先生が来校し授業を見てくださいました。また、長野県からも小山先生が全3クラスの
授業を参観しました。
山崎先生のブログ「美術と自然と教育と」に詳しく書かれてあります。こちらもぜひお読みください。
3年生の美術は「表現するってどういうこと?」が全体のテーマでもあります。
この「15歳の存在証明」の前には、現代美術のレポート作成や幼児の絵の発達に関すること、障がいのある作家の作品を鑑賞することなどを通して「表現すること」について考えてきました。
現代美術ってなんだ?
中学校の美術の授業では、現代美術について詳しく学ぶことってあまりないように思います。教科書にもほとんど載ってませんし。
でも、現在進行形で表現の幅が広がっていることは伝えなくてはなりません。
世間を騒がせたあるニュースをきっかけに、美術って何かを考える授業を始めました。
「バンクシー事件」です。
この謎の作家、バンクシー。動画でこのニュースやツイッターで流されたバンクシーの動画などを見せながら、どんな意味があるのか、何がしたいんだろうかなどみんなんで考えました。シュレッダーにかける意味とか、落書きなのに逮捕されないのか、価値があればなんでもありなのか、など。様々な視点からこの作家について話し合います。
表現の自由ってなんだ?
もう一つが、「表現の不自由展」のニュース。
芸術は何をしてもいいのか?表現の自由は保障されているはず、だからいいいではないか。宗教的な思想を批判するのはあってはならないこと。など、社会で公民を学んでいるタイミングもあり、これまた白熱した議論がなされます。
アートの価値ってなんだ?
そして、アートの価値という話。お金のことも話題にします。プチオークションのようなこともしながら、価値について考えます。
(一市民として美術館にどんな作品を入れるかなど)
その後、簡単に美術史について触れた後(自作の年表資料ーみんなが知っている美術作品はほんの一部に過ぎないということを伝えた)、現代美術のレポートに入ります。一番最初は、便器を見せますが。
PCルームにて行う授業。ウェブ上で「現代美術」と検索すると、有名な作家がズラーっとでできます。その人の作品を見るだけでも勉強になるのですが、そこから一人の作家についてじっくりと調べていきます。ウェブ上の情報しかないという状況でまとめることは危険なのですが、(その危険性についても話します)一つのサイトだけでレポートを作ることはせずに様々なサイトやインタビュー記事、自分の意見なども交えてレポートにまとめていきます。
草間彌生から鴻池朋子、村上隆に奈良美智など日本人作家を調べる生徒も多くいます。ジェフクーンズやダミアンハースト、アニッシュカプーアとかボルタンスキーなども。現在ツイッター等で発信している作家さんなどを選択する生徒もいます。
これまで見たこともない作品を作り出していることに衝撃を受けます。
「意味不明!」という声をあげる生徒も少なくありません。そんな時は、みんなでその作品を見て、考えます。いろんな見方で作品を読み解いていくと新たな発見もあります。材料から考えたり、歴史的なことから考えたり、環境問題から考えてみたり。そうすることで、様々な視点から作品を読み解いていけば良いことが分かってきます。
レポート作成後は、みんなで紹介し合う活動を入れた方が良いのですが、時間的にも厳しくなり、今回は掲示してじっくり読んでくれ、ということにしました。
幼児の発達とアール・ブリュット
私の家に飾ってある子どもの絵を見せながら授業をしました。家庭科でも子どもの発達について学んでいます。どのようにして表現してきたのか。0歳児の絵、3歳児の絵、5歳になってからという感じで順番に見せていきます。子どもが表したいという純粋さやその思いの強さを改めて感じるようです。できることが増えていく感じ、空間というものを感じ取れているのがわかる、視点が広がってきている、あるがままを伝えたいという衝動・・・などなど、みんなと一緒に見ると本当に楽しいものです。
さらに、私の親戚の作品を借りてきてみんなで鑑賞しました。

何を描いていないと生きられない人、つくること、描くことが何よりも楽しくて喜びになっている人もいること。そういう人もいるのだということを初めて知ります。「表現することと生きること」について考える機会になったと思います。
こういった鑑賞の授業を経て、今、「15歳の存在証明」に向き合っています。
単に最後の作品を作らせることが目的ではありません。
義務教育最後だからこそ、真剣に考え、自分を見つめ、これまで生きてきた証を残したり、これからの自分の生き方を証明したりしてほしいと思います。うまい、下手なんて言葉はこの時期の生徒からは出ません。その作品が自分にとってどんな意味があるのか、知っているからだと思います。だからこそ、友達の作品についても敬意を払うことでしょう。
本校の美術室前の壁には世界中の国の教室写真が貼っています。
それぞれの国の教室には肌の色も違い、服装も違う子どもたちが全てカメラ目線で写っています。
何のために学校という場所で学ぶのか。
世界中の子供たちが今も同じように学んでいます。その事実をまず知ってほしいのです。
同じ15歳の人がその教室で何を考えているのか。世界中の15歳は何を思っているのか。
そういう話をすることもあります。
この狭い教室で学んでいることは、狭い範囲のことではないということ、テストで点を取るためのものでもないということ、
この世界中で学んでいる人と繋がって、よりよい世界を築いていくことが最終的な学びの意味かもしれません。
いろんなことを考えさせてくれる写真です。

下記のアドレスからその写真を見ることができます。
https://www.madameriri.com/2012/11/30/【世界の学校】外国の教室風景を撮った写真がす/
次は、制作の様子、作品に込められた意味などをご紹介しようと思います。
まずは、受験生みんなの合格をお祈りいたします。